働くことの価値観 ~親の死に目に会えないなんて立派でもなんでもない~
「仕事が優先なのは当然だろ、プライベートな予定はキャンセルしろ」
「終わってないんだから残業は当たり前だ、仕事ってそういうことだろ」
- 作者: デイルドーテン,野津智子
- 出版社/メーカー: きこ書房
- 発売日: 2001/12/01
- メディア: 単行本
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みなさんにとって『仕事』ってどういうものですか?
以前勤めていた会社で同僚と話をしていたときのこと
当時、その会社は危機的状況に陥っていた。
深刻な人員不足、過酷な労働環境
社員達は最後に休みを取ったのは果たして何ヵ月前だっただろうと思い出せないくらいの状態
睡眠時間も極限まで削られ、仕事に対してのモチベーションは遥か彼方に消し飛んでいた。
私はそれより前に勤めていた会社が比べものにならないくらい酷く、睡眠時間はおろか帰宅すら許されない日々が続き、休みは入社から退社まで片手で数えれる程度
そんな状態を経験していたので正直そこまでの憔悴はしていなかった。
(感覚がただマヒしていただけなのだが)
私に同僚はこう言ってきました。
「正直な話、もう俺は長く続かない。休みも無く、給料が高いわけでもない。それでも文句言わず働いてやっているというのに社長は社員のことを分かろうとしない」
それを聞いたとき、もうこの会社は末期だなと感じたと同時に違和感を覚えた。
『働いてやっている』
この言葉が頭について離れなかった。
私は綺麗事に聞こえるかもしれないが会社勤め、雇われの身のときは
『働かせてもらっている』という感情を捨てたことはなかった。
それは私が常に自分のしている仕事は自分以外にも充分に出来る。
自分の代わりなどいくらでもいる。と思いながら働いていたからだろう。
別にその同僚の言いたいことは分からなくはない。ただ、言っている同僚そのものに説得力が無かった。
誰の目もなければすぐ手を抜き、最低限の仕事もやろうとしない。遅刻の常習犯で、他の社員の為にと自ら仕事を引き受けることもしない。口を開けば会社と社長の愚痴ばかり
そんな人間の言葉、私が社長でも聞く耳を持たない。
それは同僚に限ったことではなく他の社員もほとんど同じ感じだった。
私は自分で会社を引っ張ってなどと大層なことをそれまで考えたことはなかったが社員達の状態を見ていてある考えが浮かんだ。
「この状態なら私が会社を牛耳れるのではないか?」
台詞だけ聞くと完全に悪役であるが、その時の私は真剣だったし、純粋に会社を良い方向にと思っていた。
その時の私の動きや働きはまた機会があれば書くとして
結局どうなったのか結果だけ
私は社内でなんとか上手く立ち回り、同僚や後輩、社長までも私の言うことには聞く耳を持つようになった。
極端な話、私の言うことに多少無理や誤りがあってもほとんどのことはゴリ押しでどうにでもなるという状態にまで持っていくことが出来たのだ。
私のことを疎ましく思っていた社員もいたと思う。それでも間接的にすら私への愚痴不満は噂話レベルですら私の耳には入ってこなかったし
何より社長が私に意見を求めてくるようになったのは大きかった。
単に私は自慢したいわけではない。頑張ったんですねと褒めて欲しいわけでもない。
私と愚痴を言っていた同僚
その違いを理解、知って欲しいのです。
働いている人の多くは不満を言うことはあれど、環境を変えようと精一杯考えず、「諦めている」とか「無駄だから」とか分かったふりして勝手に諦める。
というか他人任せの人間がほとんどだ。
まず愚痴る前に動けば良いのだ。待っていたって変わらない。
騙されたと思って精一杯悩んで考えて実行してみて欲しい。
意外とたいしたことない働きで変化する物事はあったりするから
ただ、押し付けるつもりはない。
仕事に対する『価値観』は人それぞれだし、それで良いと思う。
一昔前の特に経営者に多いが
「何よりも優先して働いてきた」
「仕事が一番、プライベートは二の次」
「俺は親の死に目にも働いていた」
上記に挙げた考え方は見る人がみればさぞ立派なのでしょう。
しかし、私には全く理解出来ません。
こういった偏った考え方、ブラックの典型のように見えますし、働き方、価値観なんて時代によって変化するし人それぞれ答えがあります。
時代の流れについて行けてない古臭い経営者ほど「有休?何言ってんの?」とかこのご時世に言っちゃってるんですよ
今でも私は思います。
あのとき憔悴していた同僚は愚痴る暇があるならさっさと辞めれば良かったのだと
いろいろ悩みはあるかもしれないけれど一体、自分は今何が出来るのか?
何の為に働いているのか?
働くとは何か?
形は決まっていなくとも結局仕事はほとんどの人に付きまとう逃げれないものです。
そして、仕事とは楽しいものではないというのが私の持論です。
いかに辛い仕事を楽に、良い雰囲気、環境でするのか
誰かを待つのではなくみんなが自ら考え変える努力をすれば
もしかしたら何か変わるかもしれない
そう思う気持ちも大事なんじゃないか
そんな感じですよ
それではまた次回があれば