小学校の大学化?! ~もっと自由な学習の形を~
今回は個人的な思い出話を
私は小学校低学年の頃は算数が大好きでした。今では方程式を見るだけで吐き気を催すレベルですが当時のクラスメイトのN君とクラスのトップを争うくらい計算が早かった。
私とN君は他の子と比べ圧倒的に計算が早く誤答することもなかったので先生と一緒にクラスの子のプリントの赤ペン先生の如く採点する側にまわって授業の手伝いをしていました。
そんな算数大好きの私がある日、算数と決別する日がやってきます。
そう、『コンパス』の登場です。
今まで計算式だけだった世界に円という図形が登場したことにより私の算数ライフが一変した。
子供ながらになぜ図工の授業でもないのに図形を書かねばならないのかというなんともいえない疑問の壁と当時の私は壊滅的に不器用で(今も別に器用ではないが)上手く円がかけなかった。
楽しかった算数の授業が一気につまらなくなり冷めてしまった。
それから年月が少し経ち
今度は歴史の授業が面白くて仕方なかった。元々暗記はそれなりに得意だったし日本の歴史という初めて触れる膨大な物語はワクワクした気持ちを当時の私に届けてくれた。
教科書をまるで漫画本のように読み、家では授業より少し先のページを読み進め授業で先生の解説で確認するようになっていた。
ある日のこと
私は授業が終わった後、先生に質問をしに行った。質問の内容は覚えていないが教科書を開けながら無我夢中で疑問をぶつける当時の私に先生が放った言葉は今でも覚えている。
「それはまだ授業でやっていないところでしょ?そんなとこの質問にくるな」
「そんな風に先々のことばかりみてて本当に授業の内容に集中しているの?」
今でも覚えている。
ショックだった。
別に褒められたかったわけではない。
ただ純粋に歴史が好きで好きで
疑問に思ったことをただ知りたかっただけなのだ
私は一気に気持ちが冷め、それから自主的に教科書を開くことはなくなった。
先生のせいにするつもりも、言い訳をするつもりもないが
学生時代の私の勉強嫌いの核はこの出来事にあると改めて思う。
もし私があのときから無我夢中で計算式に熱中し続けていたら
歴史の教科書に穴が空くんじゃないかというくらい読み漁り図書室まで調べに行くくらい熱中していたら
私には違う未来が訪れていたかもしれない。そんな風に思うことがある。
義務教育が役に立たないとは言わないが皆が足並み揃え同じページで幼少期を過ごすより
大学のように興味があることを『専攻』して授業を受けた方がより良いのではないかと個人的には思う。
子供の好奇心と吸収力は大人なんかと比べものにならないくらい凄まじいものだと思うし
話が少し変わりますが、義務教育っていうくらいだからもっと礼儀やマナー、一般常識なんかも必須科目にすべきじゃないかと
ま、それは義務教育内に限った話ではないだろうけど
私のショックだった思い出話はおそらく先生の言い方だったり
当時の私の捉え方だったりの問題もあったのだろうけど
それでも子供の私から勉強が楽しいと思う気持ちを砕いて消し去るには充分なものだった
もう少し、子供達がノビノビと学習出来る
型にハメるのではなくもっと自由に学べる形が必要なのではないかと
偉そうに言ってみたりして
それではまた次回があれば